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    初代 通天閣(大阪市)

    大阪城とならぶ「なにわのシンボル」といえば、なんといっても『通天閣』です。このブログでも何度も紹介していますが、今回は少し視点を変えて、初代 通天閣について紹介します。

    これが初代の通天閣です。

    この通天閣が建てられたのは、今から100年前の明治45年(1912)、第5回内国勧業博覧会の跡地に造られた「新世界ルナパーク」という遊園地のシンボルとして建てられました。パリの「凱旋門」の上に「エッフェル塔」を乗せたという、ちょっと変わったデザインで、その高さは64m。当時としては東洋一のタワーとなりますが、本家のエッフェル塔が312mというから、5分の1ほどしかありません。それでも、当時の日本人には驚きで、通天閣から伸びる「針金渡り(ロープウェイ)」と呼ばれるアトラクションが人気を博したそうです。

    なるほど、凱旋門の上にエッフェル塔ねぇ~。
    針金渡り(ロープウェイ)も写っています。

    ちなみに、ルナパークには「サークリングウェーブ」と呼ばれる波動回転する遊戯や「不思議館」や「美人探検館」なるものがあり、当時は「低俗!!」との批判を受けたそうです。それでも、連日、多くの人でにぎわいました。その人気は大正時代の終わりまで続きますが、次第に下火になります。

    これが「ルナパーク」です。

    さて、『通天閣』はというと、その後に建設された温浴施設とともに、その後も人々に愛されます。しかし、太平洋戦争が始まり、大阪への空襲が激しくなると、爆撃目標にされることを恐れ、全体を目立たない色に塗られます。しかし、皮肉にもその最期は空襲でなく、昭和18年(1943)1月、足元にあった映画館からの出火で全焼――。同年2月には解体され、スクラップとなった通天閣は、戦時下ともあって大阪府に供出されてしまいます。

    その総量は300トン。一説によると、出火原因は金属不足に悩む軍部による放火だったとか…。あくまで噂で、その真相は歴史の闇の葬られてしまいました。

    太平洋戦争末期、度重なる空襲で焦土と化した通天閣周辺ですが、戦後、街の復興とともに再建が望まれ、昭和31年(1956)10月に十数年の時をへて人々の前に姿を現し、現在にいたるまで大阪の人々に親しまれています。

    現在の通天閣。

    2代目の通天閣は初代をはるかに超える高さ103mと、その威容は名実ともに「なにわのシンボル」となりましたが、再建から50年の時が過ぎた今では、ビルの谷間に垣間見える存在になってしまいました。それでも、今後も人々に愛されている通天閣。平和のうちに100周年を迎えたいものです。