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通天閣とその周辺

工房で作業するばかりの日々、今日は打ち合わせがあり、久しぶりに街なかへとやってきました。この後は、息子と懐かしい店での食事です。待ち合わせの時間までには、もう少し余裕があるので、遠回りをして大阪市立美術館へとやってきました。

通天閣とその周辺

この美術館が建てられたのは、戦前の1936年のこと。和洋折衷様式の建物で、その堂々とした佇まいが学生のころから好きで、機会があるごとに、この風景だけを見に来ます。そして、ここから眺める通天閣も好きです。

通天閣とその周辺

この美術館の一帯は大きな公園であり、裏には美しい「慶沢園(けいたくえん/日本庭園)」「茶臼山(ちゃうすやま)」、その下には「天王寺動物園」、そして大阪のシンボル「通天閣」、その周辺には「新世界」が広がります。

▼ コロナ禍の通天閣。
通天閣とその周辺

まさに、ここは大阪の人々にとって、明治時代以来の“憩いの場 & 観光スポット”でした。代々、大阪で暮らす我が家でも、祖父の時代から、父も、僕も、そして息子も、四代にわたってお世話になった場所です。

父親になった僕も、子供が小さいころは午前中は美術館、午後からは動物園、そのあとは「新世界」で串カツを食べて、チンチン電車に乗って家に帰る――というのがルーティーンでした。

通天閣とその周辺

今日は、息子と通天閣の下で待ち合わせて久しぶりの串カツ。昔、帰りには私の背中で眠った息子とは、今はお互い仕事帰りの待ち合わせ。昨日のことのような思い出に、時の流れの速さを実感します。
そして今日も、串カツでおなかいっぱいになった後はチンチン電車で帰宅です。で、いつもの駅に行ってみると、そこに駅がありません。少し離れた場所に、新しい駅が—。副駅名にも「通天閣前」とありました。

通天閣とその周辺

▼ 以前は、こんな感じのレトロな駅で、ここでチンチン電車を待つのが好きでした。

通天閣とその周辺

一時は外国からの人でごった返していたこの辺りも、コロナの影響で今は人影もまばらです。そして河豚の形で有名な提灯の歴史にも幕が下されました。

▼ほんの数年前の通天閣と新世界。
通天閣とその周辺

今まさに、時代が大きく変化しようとしています。明治以来、大阪とここに暮らす家族の歴史を見続けてきた“通天閣とその周辺”。新たな時代にも、ここに笑顔があることを願っています。

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