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大阪歴史散歩③ 大大阪の時代

大阪には、面積・人口・経済力のすべてにおいて東京をしのぐ〝大大阪〟と呼ばれた時代がありました。『大阪歴史散歩』の最終回は、そんな時代の大阪を紹介します。

明治時代に入ると、廃藩置県によって大阪にあった各藩の蔵屋敷は消滅してしまいます。これによって〝天下の台所〟と称された物資の集積地としての地位を失った大阪は急速に衰退してしまいました。これを食い止めるべく、近世以来の豊かな経済力を生かして、それまでの商業に加えて紡績や鉄鋼などの産業を付帯し、大正期には商業都市から〝商工業都市〟へと変化します。

これが功を奏し、市街地には近代建築が立ち並び、モボやモガが闊歩する文化や芸術にあふれる都市へと変貌します。同じころ東京が関東大震災で被災し、企業や人が大阪へ流入したため、その発展に拍車がかかって〝大大阪〟と呼ばれた黄金時代を迎えます。現在の大阪城天守閣や御堂筋(みどうすじ)や地下鉄の御堂筋線が建設されたのもこの時代です。今回は、そんな〝大大阪時代〟の風景です。

▼ 大阪歴史博物館に再現された当時の大阪の夜景。

▼ 御堂筋の大丸心斎橋店(しんさいばしてん)。

▼ 大丸心斎橋店の玄関装飾。

この建物は百貨店でアメリカの建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズによるものです。昭和8年(1933)に完成した〝大大阪〟を象徴するような存在ですが、 2015年12月30日をもってに営業を終了し、外装・内装の一部を遺して建て替えられることが決まっています。すごく残念ですが、耐震強度の不足などによるもので、これも時代の流れで仕方ないのかもしれません。

大阪を代表するタワーといえば「通天閣」です。大大阪時代に存在したものは戦争中に焼失してしまい、これは戦後に再建された二代目です。

大大阪時代に存在した通天閣には大きな天井画があったそうです。そんな天井が当時の写真などをもとに現代風に再現され、2015年7月3日から公開されています。

下の左の写真は昭和2年(1927)に建てられた『高麗橋(こうらいばし)野村ビル(大阪市中央区)』は今も現役です。下の写真は創建当時の絵葉書です。

これにて『大阪歴史散歩』は終了です。古代から現代までの大阪の歴史はどうでしたか? がさつで雑多なイメージのある大阪ですが、奈良や京都と同じくらいの歴史があります。また、お好みやタコ焼きばかりではありません!! 〝天下の台所〟といわれた時代の食文化もあります!! 機会があれば、ぜひ!! 大阪へ来てください!! お待ちしております。


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1件のコメント

  1. ピンバック:大阪歴史散歩② 天下の台所―― Medieval Osaka – ひとつ屋

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