メニュー 閉じる

陸稲の畑で、自然に教えられること

秋の光が柔らかくなりはじめるころ、畑の稲が色づき始めました。
ここは田んぼではなく“畑”。水を張らずに育てる「陸稲(おかぼ)」を栽培しています。
風に揺れる稲の姿は、どこか控えめで、それでいて誇らしげ。
自然の中に立つその姿を見ていると “人が手を貸す” というより “自然に手を添えさせてもらう” という感覚になります。
※以前のブログ『陸稲』もご覧ください。

昨年は「もち米」の陸稲を育てました。天候にも恵まれ、予想以上の実りをいただきました。その成功に気をよくして、今年は「うるち米」に挑戦!「どうせ育てるなら、ご飯のお米を」と、少しばかり欲が顔を出したのです。
けれど、自然はそんな心の揺れを静かに映し返す鏡のよう。猛暑と雨不足が重なり、稲は思うように伸びず、実りもまばらでした。結果は「大失敗」。でも、それもまた畑が教えてくれることのひとつです。

刈り取りの日。鎌を入れるたびに、稲の香りがふわりと立ちのぼります。豊かでなくとも、確かに実りはありました。倒れかけた稲を束ね、整然と並べていく作業は、まるで自分の心を整えるようでもあります。
「うまくいかない年もある」――そう受け入れることで、人はまた一歩、自然に近づけるのかもしれません。

稲を手に取ると、陽を含んだ穂が柔らかく光ります。ひと粒ひと粒に、夏の日々の記憶が宿っているようで、「よくここまで」と声をかけたくなります。
自然は“報酬”を約束してくれませんが、“気づき”をくれます。それが、畑を続ける理由なのかもしれません。

刈った稲は、今こうして納屋の天井に吊るされています。風が通るたびに、カサカサと小さな音を立てて揺れます。その音を聞いていると、不思議と心が落ち着きます。
来年はまた「もち米」に戻そうと思います。
身の丈に合った方法で、無理せず、自然の流れに身をゆだねてみよう—。人が自然を育てるのではなく、自然が人を育ててくれる――そんな当たり前のことを、改めて教えられた一年でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です