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葛藤の日々

商家に生まれたせいか—、幼いころから “数字に関する独特な感性” のなかで育ってきたような気がします。

数字が苦手な私は、それがイヤで、いわゆる思春期のころには “家の考え方 ” と激しく対立したこともありました。父に「商売と子供(家族)のどっちが大切なのか!?」と激高して詰め寄ったこともあります。そのとき、父は「商売があるから家族を大切にできる、家族があるから商売に頑張れる」と、私の質問に、どこか悲しそうに応えました。

父に対しては、そんな態度をとる私なのに、当時、学校で「士農工商」と教えられると「なぜ? “商” が最下層なんだ!」と、父の顔を思い浮かべては矛盾を感じることもありました。

それでも私は自分に素直になれず、家を飛び出し、その後は近づくこともせず、長らくサラリーマンをしました。


あれほどイヤだった家業、そして何に対しても抗った日々—。それは結構な年月だったような気がします。

そんな父も東日本大震災の十日後に亡くなり、もう十三回忌も済ませた私は五十も半ばを過ぎました。父との確執の日々も「もうすっかり過去のこと」と、長く続けたサラリーマンを辞め、結局は家業を手伝うことになりました。が、やはり家にはなじめず、同時に ひとつ屋をスタートすることになりました。

もちろん、あれほどイヤだった “商売” を前面に押し出し、ひとつ屋をやっていく気もなく “老後の楽しみ” くらいに思っていたのですが、気が付けば、今年は10周年を迎え、非常に慌ただしい毎日を送っています。

かつて、中学生の私が父に吐いた「商売と子供(家族)のどっちが大切なのか!?」の言葉と、その答え――。今の私は、息子も独立して当時の父よりも随分と年上になりましたが、ようやくその言葉の意味が理解できるようになりました。


商売には “数字では表せないもの” が必要だったんです!もちろん、お金は不可欠なもの。しかし、それに執着するがゆえに人生や命までをも脅かすのは “本末転倒” に思えるのは、中学2年生のときと変わりません。ただ、自らが生み出し、育てていく――仕事(商売)には 、お金💰だけではないもの―― “愛” みたいなものが必要であったことを痛切に感じさせられます。これからは、父の言った言葉を大切にしながら、ひとつ屋を愛し、育んでいこうと思っています!
今後とも、ひとつ屋を何卒よろしくお願い申し上げます。

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