先日、わが家へ息子の友達が泊まりにきた。中学一年生が総勢4人。みな同じクラブで、見分けがつかないほどに日焼けた顔に坊主頭。笑うと歯だけが目立つ。最近では珍しくなった風貌をしているが、屈託なく笑いながら食事でもしている様子を見ていると、こちらまでが幸せな気分になる。
その数日後、NHKで『原爆の絵――市民が残すヒロシマの記録』という番組を見た。これは被ばく直後の広島を後に市民が描いた絵を紹介する内容だったのだが、3000点に達する“原爆の絵”のなかに、わが子とその友達を連想させるものがあった。
それは原爆が炸裂した直後の午前9時ごろ、熱線に焼けただれた姿で座り込んだ3人の男子中学生を描いたもので、そのうちの一人が、飛び出して垂れ下がった自らの眼球をその手で受け止めている場面だった。解説によると、すさまじい爆風圧によって気圧が下がり、眼球や内臓が飛び出してしまうことがあったという。熱線、爆風圧、そして放射能—、まるでボロ雑巾のような姿となった子供たちの多くが、軍需工場や食料生産、建物疎開作業に動員された学徒(中等学校以上の生徒や学生)だったという。
そして、この絵の最後に添えられていた『「お母さん・・・」と絶句が聞こえる。』の一文に、身が震えた。
これが、わが子だったら――。
妻は、この番組が見れなかったという。僕も、その日は絵と息子たちの笑顔が重なってしまう。
そして、ただただ涙があふれる—。