富岡製糸場を訪ねたあと、長野県の塩尻で一泊してから今回の旅のもう一つの目的地である「トヨタ産業技術記念館」へと向かいました。
この記念館は、前々からぜひ行ってみたい!と強く思っていたところで、工房(三重県伊賀市)への帰路ではかなり遠回りになったのですが、ようやく訪ねることができました。
富岡製糸場では、明治の人々が西洋の技術を学び、人の手と器械が一緒に働く生産の形をつくろうとした熱量を感じました。そして、この「トヨタ産業技術記念館」では、その熱量が、さらに具体的な「発明」や「改良」として積み重なっていく姿を見ることになりました。
正直に言うと、ここは、ひとつ屋にとって欲しい情報のオンパレード! 織機、糸、綜絖、筬、シャトル、歯車、動力、布を巻き取る仕組み⋯、どれもこれも興味深く、見れば見るほど知りたいことが増えていきます。
館内を見終わったころには、もう身も心もクタクタでしたが、それは疲れたというより、頭の中に情報が入りすぎて、処理が追いつかなくなったような感覚でした。
▼「トヨタ産業技術記念館の入口」。富岡製糸場の次に訪ねたこの記念館は、ひとつ屋にとって欲しい情報のオンパレードでした。

▼ 赤レンガの建物が印象的な「トヨタ産業技術記念館」。ここでは、繊維機械から始まるトヨタのものづくりの歩みを見ることができます。

前回の富岡製糸場のブログ『富岡製糸場で感じた明治の物づくり|人の手と器械が働く生産の形』で、物づくりに携わった明治の人々の気概について、こんなふうに書きました。
- 足りないものがあるなら、作る。
- 分からないことがあるなら、学ぶ。
- うまくいかなければ、やり直す。
- そして、自分たちの仕事として根づかせていく。
この記念館で見たものは、まさにその真髄でした。どこを探しても、最初から完成されたものがあったわけではありません。手で動かす織機から、少しずつ動力を取り入れ、糸が切れたときに止まる仕組みを考え、品質を安定させ、生産性を高めていく――。まさに、
- 必要があるから考える。
- 不便があるから直す。
- 失敗があるから改良する。
その積み重ねが、織機を進化させ、やがて大きな大きな産業へとつながっていったのだと思います。
この「G型自動織機」は、豊田佐吉(とよだ さきち)が1924年に完成させた世界最高水準のもので、自動織機の一つの完成形です。高速運転中もスピードを落とさず、自動的に糸を補給する画期的な機構(無停止杼換装置)を備え、トヨタグループ発展の礎となりました。
▼ 1924年に完成した世界最高水準の「G型自動織機」

さまざまな展示品のなかでも僕が強く惹かれたのは、木と鉄が組み合わされた古い力織機でした。
完全に近代的な金属機械というよりも、木のフレームに金属の歯車や軸が組み合わさり、人の手の感覚と器械の動きが同居しているような姿です。それを見た瞬間、思わず前橋で引き取ってきた「うちの力織機と同じやんッ! 😲」と驚きました。
▼ 1896年に発明された「豊田式汽力織機(正面側)」。木と鉄が組み合わされた姿に、ひとつ屋が迎えた力織機と通じるものを感じました。

もちろん、ひとつ屋のものは、こんな名機ではないとは思いますが、木と鉄を組み合わせた構造、側面に見える歯車、布を巻き取るローラー、器械全体の佇まいには、強く通じるものを感じました。
▼「豊田式汽力織機(横)」。完全な金属機械ではなく、木の構造と金属部品が混在する姿に強く惹かれました。また、歯車や軸の構造など、ひとつ屋の力織機を復元するうえでも、大きな手がかりになりそうです。

説明板には、この織機が日本で最初の動力織機であり、“木鉄混製”でつくられていたことが書かれていました。
木鉄混製!
この言葉を見たとき、ひとつ屋が探していたものに、名前を与えてもらったような気がしました。
- ひとつ屋が探していたのは、単に古い織機ではありません。
- 人の手から完全に離れてしまった機械でもありません。
- 人の手の気配を残しながら、器械として働いてくれるもの。
- 手仕事の曖昧さと、器械の力強さのあいだにあるもの。
- 完全な均一化ではなく、布に少しの揺らぎや人間味を残せるもの。
今、その答えの一つが目の前にあり、似たものを手に入れたことに身が震えるほどの感激を覚えました。
▼ これが今回ひとつ屋に迎えた日本製の力織機。展示機と同じ機種かは分かりませんが、通じるものを強く感じます。


と同時に、ここでとてもおもしろいことに気づきました。
豊田佐吉は、より均一で高品質な布をつくるために、自動織機を開発していきました。
- 糸が切れたら止まる。
- 品質を安定させる。
- 生産性を高める。
- 人の作業を助け、布づくりをより確かなものにしていく。
一方で、僕が自動織機を探している理由は大きく違います。ひとつ屋がつくりたいのは、完全に均一な工業製品ではありません。草木染の色の揺らぎや、手仕事の気配を残しながら、日常に使える布や製品として育てていきたいのです。
つまり、近代工業が目指した方向と、ひとつ屋が目指している方向は、表面的には真逆に見えるかもしれません。そして、この「木鉄混製織機」こそが“器械から機械への分岐点”だったように思います。
余談のようになって申し訳ないのですが、「トヨタ産業技術記念館」では、織機だけでなく、もちろん、その先にある自動車産業への流れも充実した内容で見ることができます。



器械から機械への分岐点――この旅を終えて
旅の最後に、この「木鉄混製織機」と出合って、ひとつ屋(自分)が今後どこへ向き合うべきかが、はっきりした気がします。というのも、先ほど「この『木鉄混製織機』こそが“器械から機械への分岐点”だったように思います」と書いたとおり、その後の物づくりは、均一な製品を“より多く、より早く”作る、いわゆる“大量生産・大量消費への時代”へ突き進んでいくことになります。
「富岡製糸場」でも、「トヨタ産業技術記念館」でも、展示品のなかに巨大な蒸気機関が設置されていたことが書かれていました。そこでは大量の石炭を燃やし、動力や電気の巨大なエネルギーを得ていたそうです。
ひとつ屋が目指したいのは、そう!「木鉄混製織機」が活躍したころの物づくり。近世と近代の間に一瞬だけ存在した、まだ人と器械がともに働いた時代の物づくりだったのです。すべてが、一本の線でつながりました。
そんなことを考えながら、帰路へつきます。
この旅が終われば、これまでに集めてきた器械の修理と復元を始めようと思います。
今回の旅は、ひとつ屋にとって大きなターニングポイントになりました。物も心も、準備が整いました!
さぁ、いよいよ始まります!! ぜひ、ひとつ屋の今後を楽しみにしていてください!!!