むかしむかし—、まだ私が出版社で働いていたとき、上司に「出版(文字組み)の “仕事は米つぶを積み上げるようなものだ” 」と、よく言われていました。
世はバブル景気に沸いた時代。それまでの “年功序列” や “終身雇用” という言葉に入れ替わり、“合理性” や “実力主義” などというフレーズがもてはやされたころです。若い自分たちは“米つぶを積み上げる”などという地味な言葉は聞き入れず、“合理的で実力ある者”がもてはやされる風潮に新しい時代を感じました。

そして、またたく間に時代は流れ、かつて “新人類” と呼ばれた私たちも、今ではすっかり “旧人類”– –。薄っぺらな合理性は砂上の楼閣のように消え失せ、もはやそれがどういったものだったかも思い出せません。あるのは “さび付き、すり減った経験値” ばかり。今になって、かつての上司が諭してくれた “仕事は米つぶを積み上げるようなものだ” の言葉が思い出されてなりません。
四十代も半ばを過ぎたころに、趣味の延長で始めたのが【草木染工房 ひとつ屋】でした。何となく、あの時の上司の言葉が胸につかえ、“ひとつ一つを丁寧にこなしたい” という思いから、自らの工房を【ひとつ屋】と命名しました。
そして、それからさらに十年以上がすぎ、ひとつ屋もさまざまなところからお声がけいただけるようになりました。若いころには理解できず、四十歳の半ばを過ぎて少しわかり、さらに10年以上を経た今、新たな忙しさのなかで “米つぶを積み上げるようなもの = ひとつ一つを丁寧に!” ができているかが、また不安になります。
今、目の前にちょっとした壁があります。さぁ、この壁を超えるか、それとも、一旦この辺で落ち着こうか—。少し前から悩んでいます。とはいえ、きっと “先に進むこと” を選択してしまうと思うのですが、その方法が問題です。今こそ、あの言葉の意味を噛みしめながら歩んでいきたいと考えています。