投稿者: hitotsuya

  • ゆらめく炎を眺めながら—。

    ゆらめく炎を眺めながら—。

    長い夏が終わり、猛暑で手付かずになっていた庭を、ようやく片づけることができました。
    庭で枯れた枝や草を拾い、裏山で朽ちた竹を集めては火を起こします。

    ぱちぱちと音を立てながら燃える枝を見ていると、夏の名残を手放しているような気がします。

    煙が静かに立ちのぼり、夕暮れの空に溶けていきました。「秋の日は釣瓶落とし」という諺を実感します。
    暗くなってから火のそばに腰を下ろし、ゆらめく炎をただぼんやりと眺めていると、忙しい毎日をほんのひととき忘れさせてくれます。

    火は、人の手で扱う最も古い自然の力です。
    燃えゆくものは土へ還り、やがて新しい命の糧になる――。
    そう思うと、片づけの時間もどこか穏やかなものに感じられます。

  • 引き続き「思いを実践する場」にするために

    引き続き「思いを実践する場」にするために

    ちょうど1年前に『古い時代の生産のカタチ』というタイトルのブログを投稿しました。

    そのなかで「この場所を “自らの思いを実践する場” へと変えていこうと考えています」と書いています。
    ところが、今なお ↓ こんな状態――🫣 ご覧のとおりのありさまです。

    道具は揃いつつあるものの、完璧とはいえない――。
    やりたいことはたくさんあるのに、時間が足りない――。
    そんな日々で、気づけば1年が過ぎていました。

    それを見ては「まだまだだな」と、ため息ばかり。
    次の一年は、もう少し“実のあるもの”にしていきたいと思います。

  • 耳成山(みみなしやま)

    耳成山(みみなしやま)

    大阪から伊賀へ向かう列車の窓から、奈良盆地に静かに佇む「耳成山(みみなしやま)」が見えます。

    その名の由来には諸説があります。
    山の形が左右対称で “耳が整っている” ように見えるからとも、古代には「耳」が “境” を意味したからともいわれています。

    古くは『万葉集』にも登場し、香具山(かぐやま)や畝傍山(うねびやま)とともに「大和三山(やまとさんざん)」に数えられ、1967年に歴史的風土保存区域に、2005年には国の名勝に指定されています。

    古代から日本人の心に生きた山といえるでしょう。

    やわらかな緑に包まれたその姿は、どこか人の気配を感じさせ、過ぎゆく季節の光を映しています。

    車窓からその稜線を眺めるたび、遠い昔と今が穏やかに重なり合う――そんな不思議な時間が流れます。

  • 陸稲の畑で、自然に教えられること

    陸稲の畑で、自然に教えられること

    秋の光が柔らかくなりはじめるころ、畑の稲が色づき始めました。
    ここは田んぼではなく“畑”。水を張らずに育てる「陸稲(おかぼ)」を栽培しています。
    風に揺れる稲の姿は、どこか控えめで、それでいて誇らしげ。
    自然の中に立つその姿を見ていると “人が手を貸す” というより “自然に手を添えさせてもらう” という感覚になります。
    ※以前のブログ『陸稲』もご覧ください。

    昨年は「もち米」の陸稲を育てました。天候にも恵まれ、予想以上の実りをいただきました。その成功に気をよくして、今年は「うるち米」に挑戦!「どうせ育てるなら、ご飯のお米を」と、少しばかり欲が顔を出したのです。
    けれど、自然はそんな心の揺れを静かに映し返す鏡のよう。猛暑と雨不足が重なり、稲は思うように伸びず、実りもまばらでした。結果は「大失敗」。でも、それもまた畑が教えてくれることのひとつです。

    刈り取りの日。鎌を入れるたびに、稲の香りがふわりと立ちのぼります。豊かでなくとも、確かに実りはありました。倒れかけた稲を束ね、整然と並べていく作業は、まるで自分の心を整えるようでもあります。
    「うまくいかない年もある」――そう受け入れることで、人はまた一歩、自然に近づけるのかもしれません。

    稲を手に取ると、陽を含んだ穂が柔らかく光ります。ひと粒ひと粒に、夏の日々の記憶が宿っているようで、「よくここまで」と声をかけたくなります。
    自然は“報酬”を約束してくれませんが、“気づき”をくれます。それが、畑を続ける理由なのかもしれません。

    刈った稲は、今こうして納屋の天井に吊るされています。風が通るたびに、カサカサと小さな音を立てて揺れます。その音を聞いていると、不思議と心が落ち着きます。
    来年はまた「もち米」に戻そうと思います。
    身の丈に合った方法で、無理せず、自然の流れに身をゆだねてみよう—。人が自然を育てるのではなく、自然が人を育ててくれる――そんな当たり前のことを、改めて教えられた一年でした。

  • ボールワームとの闘い ―― 秋の学び

    ボールワームとの闘い ―― 秋の学び

    今年も「緑綿(りょくめん)」は、順調に育ち、たくさんの実をつけてくれました。けれども、中にはぽっかりと穴のあいた実も—。
    ※ ひとつ屋での「緑綿栽培」については、以前のブログ『緑綿(りょくめん)製品の開発』をご覧ください。

    ボールワームとの闘い ― 秋の学び

    調べてみると、これは “ボールワーム” という虫の仕業でした。ちなみに、ボールワームとは、綿の実(ボール)の中に入り込んで、種や綿の部分を食べてしまう小さな幼虫のこと。名前のとおり “綿のボールに入る虫” という意味です。

    幸い、被害は一部の実だけでしたが、中を開けてみるとグチャグチャの茶褐色で、やはりショックでした。

    ボールワームとの闘い ― 秋の学び

    それでも、これも自然と向き合っているからこその経験。来年は、虫が近づかないように天然素材の「忌避剤」を使ってみようと思います。ハーブ系や木酢液など、植物にやさしい方法を試して、できるだけ自然なかたちで守ってあげたいです。

    悔しさの中にも学びがありました。自然と共に育てる楽しさと難しさを、またひとつ感じた秋の一日でした。