カテゴリー: 染太郎日記

ひとつ屋の主催「壱つ屋染太郎」が、畑や工房、暮らしの中で感じたことを、そのまま書き留めています。結論や答えよりも、その時々の気持ちや揺れを大切にした、徒然なる日々の記録です。嬉しいことも、悲しいことも、しんどいことも、日々の中でふと浮かんだ疑問も—。そうした個人的な思いを綴ってきたのが「染太郎日記」です。

  • 覚悟

    覚悟

    随分と前のブログ『息子の人生、親の思い』に書きましたが、この春から息子は地元の中学へは進学せず、とあるスポーツのために特別な学校へ通っています。くる日も、くる日も、ひたすらに猛練習。入学以来、たった一日の休みもなく、すでに体は真っ黒に日焼けし、膝や肘は傷だらけです。

    が、そんな練習にもかかわらず、先日の夏の大会では十数年ぶりに全国大会出場ならず、大きな辛酸を舐めたようです。そして、これにて三年生は引退。チームは大きな節目を迎えることとなります。

    覚悟

    ところが、さすが強豪校。すぐに頭を切り替え、翌日には新しいレギュラーが発表となり、次の大会を目指しての猛練習が始まりました。そんな新メンバーに、なんと一年生の息子が選ばれたのです! これまでの彼の努力を見てきた親としては、これほど嬉しいことはありません。

    が、喜んでいるのは親ばかりで、本人は、いたって冷静。それどころか、レギュラー昇格後は顔つきまで変わりました。それまでは、まだまだ心のどこかに “スキがあれば、サボりたい!” というような甘さが漂っていましたが、最近では、なんとなく “ 覚悟 ” のような雰囲気を醸し出し、まぶしいほどに輝いています。

    ほんと!! えらいもんですねぇ。

    ついこの前までは、まったくの子供だったのに、環境があんなにも顔つきを変えるんですね。そんな息子の顔を見ていて、親ながら恥ずかしい気にさせられます。そう、もう新しい工房に移って、もうすぐ丸二年。なのに、いまだ店がオープンできていません。この夏、腰痛で床に伏した間に思ったのですが、僕には全く“ 覚悟 ” が足りていません。そろそろ覚悟を決めなければならいようです。

  • ひつじのショーン

    ひつじのショーン

    いまだにガラケーを使っています。周囲でも僕一人になり、まるで “生きている化石” 扱いです。

    でも、こんないいこともあります! 先日、息子からこんなプレゼントをもらいました。

    ひつじのショーン

    おぉ~ “ひつじのショーン” のストラップやん! しかも!! 大阪限定バージョン!実は “ひつじのショーン” が大好きなんです。

    ぎっくり腰のあと、いいことがなかったので、これで運気が変わればラッキーです。

  • 墓参り

    墓参り

    お盆休みだというのに、引き続き “ぎっくり腰” についてです。

    工房での作業は、なにもできていません。おまけに、突然の腰痛で工房は作業途中のまま。せめて、後片付けと掃除くらいしたいのですがそれはまだ無理そうです。

    それでも、お盆とあって、今日は車に乗っけてもらってお墓参りに行ってきました。

    墓参り

    父が喪ってから三年半。自分が歳をとっていくことを実感します。

  • ぎっくり腰

    ぎっくり腰

    昨日の夕方、工房での作業中、何気に椅子から立ち上がろうとした瞬間に グキッ! と鈍い痛み。当初は「たいしたことなくって、よかった 」 と、ホッとしてしたのですが、それは希望的観測というもので、次第に激痛が――。

    今朝がベッドから起き上がれないほどです。鎮痛剤を飲んだり、湿布をはったりして、なんとか痛みを抑えて病院へ。さまざまな治療をしてくれたので、朝よりは随分と痛みは治まりましたが、はやりまだ痛いです。

    ぎっくり腰

    さすがに今日は仕事を休みたいところですが、お盆前とあってそうもいかず出勤。今日一日もってくれればなぁ と思って頑張りました。

    唯一の救いは、病院の先生が「仕事が終わって痛ければ、もう一度来てもらってもいですよ」と言ってくれたことです。おかげて、今日と明日もってくれそうです。

    それにしても、最近ツイてないません。

    そういうときは、じっとしてるのが一番なんでしょうね。ちょうど、ぎっくり腰だし、ゆっくり過ごすことにします。

  • ノー モア ヒロシマ

    ノー モア ヒロシマ

    先日、わが家へ息子の友達が泊まりにきた。中学一年生が総勢4人。みな同じクラブで、見分けがつかないほどに日焼けた顔に坊主頭。笑うと歯だけが目立つ。最近では珍しくなった風貌をしているが、屈託なく笑いながら食事でもしている様子を見ていると、こちらまでが幸せな気分になる。

    その数日後、NHKで『原爆の絵――市民が残すヒロシマの記録』という番組を見た。これは被ばく直後の広島を後に市民が描いた絵を紹介する内容だったのだが、3000点に達する“原爆の絵”のなかに、わが子とその友達を連想させるものがあった。

    ノー モア ヒロシマ

    それは原爆が炸裂した直後の午前9時ごろ、熱線に焼けただれた姿で座り込んだ3人の男子中学生を描いたもので、そのうちの一人が、飛び出して垂れ下がった自らの眼球をその手で受け止めている場面だった。解説によると、すさまじい爆風圧によって気圧が下がり、眼球や内臓が飛び出してしまうことがあったという。熱線、爆風圧、そして放射能—、まるでボロ雑巾のような姿となった子供たちの多くが、軍需工場や食料生産、建物疎開作業に動員された学徒(中等学校以上の生徒や学生)だったという。

    そして、この絵の最後に添えられていた『「お母さん・・・」と絶句が聞こえる。』の一文に、身が震えた。

    これが、わが子だったら――。

    妻は、この番組が見れなかったという。僕も、その日は絵と息子たちの笑顔が重なってしまう。

    そして、ただただ涙があふれる—。