カテゴリー: 物づくり紀行

今も、物づくりやデザインの発想を得るため、また自らの感性を確かめ、育てるために、各地を訪ねています。そうした旅の途中で出会った風景や土地の気配、人の営みを綴った紀行文が「物づくり紀行」です。ひとつ屋主催の「壱つ屋染太郎」が、制作の背景にある時間として、各地で感じたことを書き残しています。

  • 『あべのハルカス 三十六景』 第十三景 「阿倍野家並ノ景」

    『あべのハルカス 三十六景』 第十三景 「阿倍野家並ノ景」

    葛飾北斎の『富嶽三十六景』にちなんで始めた『あべのハルカス 三十六景』。第十三景となる今回は、わが工房 【ひとつ屋】 の物干し台から眺めたハルカスです。

    『あべのハルカス 三十六景』 第十三景 「阿倍野家並ノ景」

    工房のリノベーション(リフォーム)が一段落したので、ちらかり放題だった部屋を大掃除しました。改装工事でホコリだらけになっていたカーテンやマットも、一気に洗濯し、カゴいっぱいの洗濯物をもって、古い木の物干し台に上がれば、目の前には巨大なハルカスがそびえ立っています。

    この辺りは、太平洋戦争でも空襲を免れたところで、大阪市内にあっても比較的多くの古い家が残っています。ひとつ屋も、そんな古家の一つで、周囲の家々とともに低い家並をつくっています。五月の空に “甍の波と鯉のぼり” ならぬ、あべのハルカスの風景が印象的です。

  • お伊勢参り

    お伊勢参り

    ふと旅がしたくなって、先日の連休に一泊二日で伊勢を巡ってきました。実は、伊勢って染織にかかわりの深いところで、「伊勢型紙」や「伊勢木綿」は有名な産品です。以前から一度は訪ねてみたいと思っていましたが、改装工事に追われる毎日で、そんな余裕がありません。でも工事ばかりで気持ちまでが少し疲れていたので、気分転換を兼ねて旅に出ることにしました。

    お伊勢参り

    お伊勢参り

    お伊勢参り

    遷宮したばかりのうえに、うららかな休日ともあって、大勢の参拝者で賑わう伊勢神宮。いやぁ~、それにしても、やはり荘厳で神秘的な雰囲気がありますね。あまり“パワースポット”的なことを信じるほうじゃない僕ですが、さすがにここには不思議な力を感じます。ちなみに、今は新旧の正殿が同時に見られる貴重な機関だそうです。

    ▼ 旧正殿(屋根)です。
    お伊勢参り

    驚いたのが、旧正殿の屋根は苔むし、所どころには草までが生えている状態なんですね。正殿でさえも何も手を加えないままに20年に一度の遷宮を迎えるのでしょうか!?  まるで朽ちていくかのように佇む古い正殿と、生まれたばかりの神々しさをたたえる真新しい白木の正殿。それは神話に描かれた生命観や美意識を見るようです。

    新しい工房の改修工事も、いよいよ終盤――。これが終われば、本格的な作品づくりに取り掛かろうと思っています。そんなときの伊勢参り、私たちのなかに引き継がれている美意識を再確認できる旅になりました。

  • 息子の人生、親の思い

    息子の人生、親の思い

    昨年の秋のこと、突然に息子が「〇×△中学に進学したい」と言い出しました。そこはスポーツの強豪校で、体育を専門に学ぶ学校です。当たり前のように地元の公立中学校に進むと思っていた僕には、まさに“寝耳に水”。親として大きな選択を迫られることになりました。

    息子がとある球技に熱中し、それなりの結果を出していたのは知っていました。でも、それはあくまで小学生レベル。しかも、そもそも喘息だった息子に少しでも健康で強い子になってほしいと願い、それを勧めたのは私たちで、低学年のころは嫌々ながらの練習の日々だったはず。

    「大丈夫なのか!? 今、その道に進めば、将来の選択肢が狭まってしまう。まだ小学生なのに、もう将来を決めてしまっていいのか!?」 と、随分と悩みました。

    本人にも「全国レベルのチームは、並大抵の努力じゃ付いていけへんよ。頑張って、頑張って――、血のにじむような努力をしても、二軍・三軍のベンチにも入れへんこともある。そんときは、ほんまに辛いし、ミジメやで。わかってるか!? プライドまで傷つくんやで。心が折れるんやで!! 」と何度も話し合いました。

    それでも、なお「いきたい!」という息子。

    ・・・・・・。考えてみれば、あのとき親が願ったとおり、息子は少しばかり“強い子”になったのかもしれません。それに、そもそも彼の人生。僕らは傍らで見守るほかありません。

    と急遽、受験が決まり、これまでどおりの練習のほかに、受験勉強の塾通いが加わり、息子の毎日は目の回る忙しさ。正月休みも返上で頑張り、先日ようやく合格通知をいただきました。

    と、喜んだのも束の間、もう今月の中旬からは入学を前にクラブの練習が始まります。受験の前に中学校の先生からは「1年365日、朝早くから夜遅くまで休みはなく、家にはいられないと思っていてください」といわれていたので、その覚悟はできていましたが、正直のところ“寂しい”ばかりです。

    これから、中学・高校・大学と、おそらく息子とゆっくり過ごせる時間はないでしょう。のんびりと過ごせる“最後の日曜日”となった先週、二人で近江路を旅してきました。


    琵琶湖博物館水生植物公園

    息子の人生、親の思い

    息子の人生、親の思い

    ▼ 織田信長の安土城

    息子の人生、親の思い

    息子の人生、親の思い

    ▼ 井伊家の居城――国宝の彦根城

    息子の人生、親の思い

    息子の人生、親の思い

    毎週のように手を繋いで出かけていたのが、ついこの前のことなのに――。春からは一足飛びに、まるで高校生か大学生のような暮らしが始まります。ひとりっ子で、はためには過保護なくらい手を掛けてきただけに、“ふつうの中学生”という期間がなかったことが、本当に!お父ちゃんは寂しい~!! でも、それが彼の歩む道—。これから父は遠くで見守りながら、10年後にゆっくり呑める日を楽しみにします。

  • 『ごちそうさん』の時代

    『ごちそうさん』の時代

    現在、放送中のNHKの 連続テレビ小説 『 ごちそうさん 』 の舞台になっているのが、大正時代末期の大阪――。当時の大阪は“大大阪(だいおおさか)”と呼ばれ、面積においても、人口においても、経済力においても、東京を凌いで名実ともに日本で最大、世界でも6位の大都市となりました。

    ▼ そんな時代、堺筋(さかいすじ)の風景です。
    『ごちそうさん』の時代

    現在でも大阪を代表する、いちょう並木で有名な御堂筋(みどうすじ)をはじめ、その下を走る地下鉄、さらには大阪城(天守閣)などが、この時代に次々と建設されました。

    いわば、大阪人にとっての“栄光の時代”です。

    しかし、その後の世界恐慌や戦時下での経済や産業の統制、さらには大阪大空襲――と、その栄光は徐々にかげり、ついには灰燼と帰してしまいます。戦後復興とともに以前の繁栄を取り戻すかのようにみえた時代もありましたが、本格的に東京への一極集中が始まると、その衰退は決定的なものになりました。

    ▼ 現在の堺筋(さかいすじ)の風景です。
    『ごちそうさん』の時代

    ちなみに、分かりました? 一番上に掲載した写真(大大阪時代の堺筋)の真ん中に写っているビルが、二番目の写真のビルなんですよ。

    『ごちそうさん』の時代

    このビルは、昭和2年(1927)に建てられた『高麗橋(こうらいばし)野村ビルディング』。現在では国の登録有形文化財に指定されています。90年近い歴史のなかには、一帯が猛火に包まれた大空襲もあったというのに、今も『ごちそうさん』の時代の輝きを伝えてくれるものの一つです。

  • 『あべのハルカス 三十六景』 第十二景 「千本松大橋」 夜景

    『あべのハルカス 三十六景』 第十二景 「千本松大橋」 夜景

    葛飾北斎の『富嶽三十六景』にちなんで始めた『あべのハルカス 三十六景』。第十二景となる今回は 「めがね橋」 の愛称で親しまれている『千本松大橋(せんぼんまつおおはし)』から眺めたハルカスの夜景です。

    『あべのハルカス 三十六景』 第十二景 「千本松大橋」 夜景

    ひとつ屋のブログにいく度となく登場する木津川(きづがわ)。大阪市の西南部を流れる、「川」というより「運河」で、元禄12年(1699年)に河村瑞賢(かわむらずいけん)によって整備され、“天下の台所”や“水の都”さらには商工業都市へと変貌した大阪の水運を担ってきました。

    水運に恵まれた都市として発展してきた大阪ですが、その一方で道路は運河や掘割で寸断され、すぐ目の前の対岸にもかかわらず、車では随分と迂回しなければならないことがありました。モータリゼーションが進んだ高度成長期になると、さまざまな支障をきたすようにもなります。この時代、多くの掘割が埋め立てられ、いくつもの大きな橋が掛けられました。千本松大橋も、そんな橋の一つで、昭和48年(1973年)に道路長は1228mにも及ぶ巨大橋として建設されました。

    『あべのハルカス 三十六景』 第十二景 「千本松大橋」 夜景

    造船業が華やかだった建設当時、木津川沿いには数多くのドックがあり、千本松大橋の下を大きな船が行き交う必要がありました。そのため、、桁下高を満潮時でも33m以上とする必要があったため、橋の両端部を2階建の螺旋状にしました。この形状が、ご覧のとおり、メガネに似ていることから、近所に暮らす僕らは子供のころから、「千本松大橋」というより「めがね橋」と、親しみを込めて呼んでいました。

    ちなみに、「千本松大橋」の“千本松”の名称は、江戸時代は木津川の堤防に沿って数多くの松が植えられていたことに由来しているそうです。


    木津川の変遷


    ▼ 江戸時代の木津川。背景に松が植えられた堤防が描かれています。
    『あべのハルカス 三十六景』 第十二景 「千本松大橋」 夜景

    ▼ 明治時代の木津川。江戸時代のままの堤防が残っていたようです。
    『あべのハルカス 三十六景』 第十二景 「千本松大橋」 夜景

    ▼ ▼現在の木津川。随分と風景が変わりました。
    『あべのハルカス 三十六景』 第十二景 「千本松大橋」 夜景


    時代とともに変化する木津川の景色――。ここからの眺めもまた随分と変わったことでしょう。江戸時代には四天王寺の五重塔、明治時代には通天閣が見えたのかもしれませんが、今ではその姿を眺めることはできません。それらに変わり、新たに登場したのが「あべのハルカス」――。大都会の夜景に浮かび上がる、ひときわ巨大な“時代のモニュメント”に“今”を感じずにはいられません。

    『あべのハルカス 三十六景』 第十二景 「千本松大橋」 夜景