吸水性や通気性にすぐれ、夏は涼しく冬は暖かい木綿(コットン)。そのうえ肌触りがよいので衣服をはじめ、さまざまな日用品に用いられてきた身近な素材ですが、もともと日本に木綿はなく、西暦799年に崑崙人(こんろんじん)によってタネが伝えられたとされています。しかし、その後も継続的に栽培されることはなく、その多くを海外からの輸入に頼っていました。
ようやく日本で一般的に木綿が普及するのは戦国時代の後期から江戸時代の初期のころだといわれています。いわゆる天下分け目の「関ケ原の戦い」が1600年なので、その歴史はわずか400年あまりというわけです。
では、木綿が伝わる以前の庶民は何を着ていたのだろうか? そんな疑問を抱くようになって随分と調べてみると、木綿が伝えられる前の日本では “大麻や苧麻(ちょま)、赤麻(あかそ)、葛、藤、楮(こうぞ)、桑、科(しな)、芭蕉、於瓢(おひょう)などの繊維で織られた布” が用いられていたようです。
※ 貴族などの特権階級の人々は絹などを着ていました。
▼ 苧麻。「カラムシ」とも呼ばれるイラクサ目イラクサ科の多年生植物。
▼ 苧麻からとった繊維。縄文時代後期の中山遺跡(秋田県南秋田郡)では、これで織られた布の断片が出土している。
絹の美しさ、木綿の優しさ、羊毛の温もり—、どの繊維にもそれぞれのよさがありますが、特に、木綿が伝わる以前から存在する “古代布” に興味を惹かれます。ひとつ屋の伊賀(三重県)の工房近くの里山にも、苧麻や葛、赤麻などが自生しています。また、その一部を【ひとつ屋染織農園】でも栽培しています。
しかし、それらの植物から繊維を取り出し、それを績んで糸にし、さらに織って布にする――。その工程において分からないことが山積しています。それを学びたいとしても、すでにその製法が途絶えたものもあります。また、今も「伝統工芸品」として細々と伝わっている場所もありますが、そのすべてで製法を教わるのは不可能です。
現在、日々新しい繊維が生み出される時代にあって、ひとつ屋では里山から採れる植物を使って古代布を織り、さまざまな「日常的なアイテム」を作っていこうと考えています。
そこで、ひとつ屋では草木染とともに【古代染織布研究所】を立ち上げ、その製法を探究し、日常の暮らしのなかに復活させようと思います。今後は研究内容を報告したり、広く情報を集めたり、またワークショップを開催したりする予定です。
◆ コンセプト ◆
▼この研究所における「古代布」の定義
日本に木綿が移入される以前より存在していたと思われる布(繊維)。例えば、大麻や苧麻(ちょま)、赤麻(あかそ)、葛、藤、楮(こうぞ)、桑、科(しな)、芭蕉、於瓢(おひょう)などの植物繊維で織られた布を「古代布」と呼ぶ。
▼ この研究所が目指す物づくり
芸術品(アート)や伝統工芸品ではなく “民芸” に近いもの。また日々の暮らしのなかで、気負うことなく使用できる素朴なアイテム。
▼ この研究所における理念
【ひとつ屋染織農園】で栽培したり、里山で採れたりする素材を、人々が長い時間をかけて培った伝統的な技で加工すること。可能なかぎり、化学薬品を使わず、最終的にはそのすべてが自然に返ること。“持続可能(サステナブル)な布づくり” であること。