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  • 里山の暮らし――筍

    里山の暮らし――筍

    4月の中旬になり、裏山の竹林に筍(たけのこ)が生えはじめました。まさに“旬の味覚”です!
    でも、楽しんでばかりもいられません。この時季にしっかりと筍を管理しないと、また竹林が荒れてしまいます。


    ▼ 昨年から少しずつ整備してきた放棄竹林。うっそうした森に陽の光が入るようになりました。
    里山の暮らし――筍

    ▼ 今年、初の筍です。ただ、都会育ちの僕は、見つけるのが下手です。
    里山の暮らし――筍

    ▼ 収穫した筍。やはり大きくなりすぎています(笑)。里山の暮らし――筍

    掘り上げた筍は、手作りカマド(本当は枯れ竹を焼く焼却炉)に鍋をかけ、アク抜きをします。もちろん!燃料は枯れ竹です!

    里山の暮らし――筍

    今日も一日、里山に入っての作業――。晩御飯には、早速!“筍を焚いたん”が出てきました。疲れた体には、少し濃い目に味付けた筍がうまいッ! ほんと!とても贅沢な暮らしです。

    里山の暮らし――筍

  • 欲しがりません勝つまでは!

    欲しがりません勝つまでは!

    コロナのせいで人と人とのつながりが絶たれたままの新年度が始まりました。卒業や転勤、さらには雇止めや解雇など、会えないままに別れのときを迎えなければならなくなった友人や知人がいます。そのことに、怒りにも似たやり場のない寂しさを覚えます。

    場当たり的な手立てを繰り返すのみで、ただただ耐え忍ぶだけだったこの1年。このウイルスに対し、今もマスクと手洗いのみでしのげという。頼みのワクチンも、いまだに海外製で、ただただ自分の番が来るのを待つのみです。発熱しても看てくれる病院さえありません。連日の報道では感染者と死者の数が伝えられ、身近な人への感染がないことに安堵を積み上げるような日々。

    まるで戦時下の暮らしのように、私たちは終わりの見えない状況を耐え忍ばなければならないのです。「欲しがりません勝つまでは!」といった時代は、歴史の授業のなかのものばかりだと思っていました。

  • 令和三年度が始まります!

    令和三年度が始まります!

    コロナの緊急事態宣言が解除されたのも束の間、大阪では「まん延防止等重点措置」が適用されます—。さすがに、もううんざりです。こんなときにでも桜は花を咲かせてくれます。満開の花のもと、新年度も始まりました。今年も、たくさんの別れと出会いがありますが、ひとつ屋も再始動しよう!と思っています。これからも、よろしくお願い申し上げます。
    令和三年度が始まります!
     
  • マスクを外して深呼吸

    マスクを外して深呼吸

    久しぶりに海辺にきました。といっても、大阪の “工業地帯の海” 。ですが、ここからは大阪市内から六甲山系が一望でき、とても気持ちのよい場所です。誰もいない橋の上で、マスクを外して、大きく息を吸い込み、そして、はき出してみると、こんな海でも空気が新鮮で、ホッとさせられます。

    マスクを外して深呼吸

    こうして眺めていると、いつもと変わらない風景だからこそ、目の前の巨大な都市が、目に見えないものに脅かされているとは思えません。

    そんなもののために、恒例の行事もなくなり、寂しい年末年始を迎えます。早く、いつもの笑顔に会いたいです。

  • 春なのに

    春なのに

    高度成長のさなかに生まれ、オイルショック、バブル経済、そして平成大不況にリーマンショック。その間にも、阪神淡路大震災や東日本大震災など、さまざまな災害もあった。そのなかのいくつかは身をもって体験している。そして、この国で生まれ、この国に育ち、齢五十を過ぎた。

    春なのに

    が、この度の “新型コロナウイルス” は今までとは何かが違うような気がする。

    逃げ場がない。物資がない。予防できない。治療できない。どうすればいいのかわからない――という、ないない尽くし。

    あり余る品物と飽食、それにサービス。それらを使い捨てるように生きてきた。いつでも、どこでも、欲しいものは手に入ることの当たり前を享受してきた。

    それがままならず、世界は混沌としてりいる。まるで戦時下のようであり、言い知れぬ不安がよぎる。