お盆休みだというのに、引き続き “ぎっくり腰” についてです。
工房での作業は、なにもできていません。おまけに、突然の腰痛で工房は作業途中のまま。せめて、後片付けと掃除くらいしたいのですがそれはまだ無理そうです。
それでも、お盆とあって、今日は車に乗っけてもらってお墓参りに行ってきました。

父が喪ってから三年半。自分が歳をとっていくことを実感します。

お盆休みだというのに、引き続き “ぎっくり腰” についてです。
工房での作業は、なにもできていません。おまけに、突然の腰痛で工房は作業途中のまま。せめて、後片付けと掃除くらいしたいのですがそれはまだ無理そうです。
それでも、お盆とあって、今日は車に乗っけてもらってお墓参りに行ってきました。

父が喪ってから三年半。自分が歳をとっていくことを実感します。

昨日の夕方、工房での作業中、何気に椅子から立ち上がろうとした瞬間に グキッ! と鈍い痛み。当初は「たいしたことなくって、よかった 」 と、ホッとしてしたのですが、それは希望的観測というもので、次第に激痛が――。
今朝がベッドから起き上がれないほどです。鎮痛剤を飲んだり、湿布をはったりして、なんとか痛みを抑えて病院へ。さまざまな治療をしてくれたので、朝よりは随分と痛みは治まりましたが、はやりまだ痛いです。

さすがに今日は仕事を休みたいところですが、お盆前とあってそうもいかず出勤。今日一日もってくれればなぁ と思って頑張りました。
唯一の救いは、病院の先生が「仕事が終わって痛ければ、もう一度来てもらってもいですよ」と言ってくれたことです。おかげて、今日と明日もってくれそうです。
それにしても、最近ツイてないません。
そういうときは、じっとしてるのが一番なんでしょうね。ちょうど、ぎっくり腰だし、ゆっくり過ごすことにします。

先日、『沈殿藍(泥藍)の作り方』 と題して、自分で育てた藍で染料を作ってみたことを書きました。今日は、この藍を使って初めて実際に染めてみます。
泥藍(沈殿藍/藍錠)の作り方
▼ ひとつ屋の染料農園で育てた蓼藍(タデアイ)です。

▼ 収獲した藍を発酵させて泥藍(沈殿藍/藍錠)を作りました。


※ 『沈殿藍(泥藍/藍錠)の作り方』に詳しい作り方を紹介しています。
また、YouTube には動画で掲載しています。
泥藍(沈殿藍/藍錠)の染め方
▼できた「沈殿藍(泥藍)」を完全に乾かして「藍錠」とします。乾かしたほうが正確に重さがはれます。

▼この「藍錠」10gに100㏄ほどの水を加えてよく溶きます。そこへ、苛性ソーダ7gとハイドロ10gを投入し、1000㏄ほどの水を加えて、苛性ソーダとハイドロをよく溶かします。溶けにくい場合は、温めてください。できた染料を5000~6000㏄のぬるま湯に入れ、濡らして軽く絞った被染物を入れて5~6分染めます。
※ 苛性ソーダの取り扱いには注意してください。

▼ その後、被染物を空気(酸素)に晒して青く発色させ、よく水洗いして乾燥させれば完成です。

この染め方は「ハイドロ建て」や「化学建て」と呼ばれる方法で、ハイドロや苛性ソーダなどの助剤を必要とする方法です。掲載した写真以上に青く(紺色)に染めたい場合は、泥藍(沈殿藍/藍錠)の作り方(濃度を上げる)を工夫する必要があります。
ひとつ屋では、できるだけ助剤を使わない方法を研究中です。その報告を楽しみにしていてください!

市販の染料では飽き足らず、最近は “自家製の 染料 & 顔料 づくり” にハマっています。
以前に紹介した『沈殿藍(泥藍)の作り方』で紹介したとおり、まずは、畑で収穫した藍で染料を作っています。
沈殿させた蓼藍(タデアイ)を徐々に乾燥させた「泥藍(どろあい)」と呼ばれる状態で、さらに乾燥させ、「藍錠(あいじょう/らんじょう)」と呼ばれる状態にします。
▼「泥藍(どろあい)」(左の写真)。現在は、こんな状態。

もう一つチャレンジしているのが、畑の土を使った泥染め用の顔料づくりです。

実は、どちらでも、すでに染めたみましたが、まだまだ思うような色に染まりません。自家製の染料で染めたものを紹介するには、もう少し時間を要しそうです。今後を期待していてください!

先日、わが家へ息子の友達が泊まりにきた。中学一年生が総勢4人。みな同じクラブで、見分けがつかないほどに日焼けた顔に坊主頭。笑うと歯だけが目立つ。最近では珍しくなった風貌をしているが、屈託なく笑いながら食事でもしている様子を見ていると、こちらまでが幸せな気分になる。
その数日後、NHKで『原爆の絵――市民が残すヒロシマの記録』という番組を見た。これは被ばく直後の広島を後に市民が描いた絵を紹介する内容だったのだが、3000点に達する“原爆の絵”のなかに、わが子とその友達を連想させるものがあった。

それは原爆が炸裂した直後の午前9時ごろ、熱線に焼けただれた姿で座り込んだ3人の男子中学生を描いたもので、そのうちの一人が、飛び出して垂れ下がった自らの眼球をその手で受け止めている場面だった。解説によると、すさまじい爆風圧によって気圧が下がり、眼球や内臓が飛び出してしまうことがあったという。熱線、爆風圧、そして放射能—、まるでボロ雑巾のような姿となった子供たちの多くが、軍需工場や食料生産、建物疎開作業に動員された学徒(中等学校以上の生徒や学生)だったという。
そして、この絵の最後に添えられていた『「お母さん・・・」と絶句が聞こえる。』の一文に、身が震えた。
これが、わが子だったら――。
妻は、この番組が見れなかったという。僕も、その日は絵と息子たちの笑顔が重なってしまう。
そして、ただただ涙があふれる—。