投稿者: hitotsuya

  • ひとつ屋染織農園は “夏まっさかり” です!

    ひとつ屋染織農園は “夏まっさかり” です!

    ご近所の菜園の一角を借りて始めた【ひとつ屋染織農園】。その名のとおり “染織にかかわる植物” ばかりを栽培している小さな小さな農園です。しかし、こうして改めて染織植物を探してみると、思った以上に手に入れるのが難しく、小さな農園さえも、いっぱいにはならない状態です。

    ひとつ屋染織農園は “夏まっさかり” です!

    ひとつ屋染織農園は “夏まっさかり” です!

    現在のところ、蓼藍(たであい)を中心に、インド藍、ウコン、マリーゴールド、レモングラス、コリウスなど、染料になる植物ばかりを育てています。どれも夏の日ざしのなか、元気よく育っています。まさに、ひとつ屋染織農園は “夏まっさかり” といった感じです。

    秋には、アイヌの民族衣装を染めたといわれる藍の一種「蝦夷大青(えぞたいせい)」と同種の「ウォード」というアブラナ科の植物を育ててみようと計画中です。

  • 氏神さまの夏祭り

    氏神さまの夏祭り

    先日、氏神さまの夏祭りがありました。
    今では、大都会の一部となった僕の暮す街も、江戸時代には “なにわ伝統野菜” を産した農村だったらしく、現在に伝わる夏祭りも、本来は雨乞い神事でここに登場する高さ20mの櫓(やぐら)は、たわわに実った稲や作物を提灯や鈴で表しているそうです。

    氏神さまの夏祭り

    いいものですね。日本の夏祭り。

    でも、今年も夫婦二人だけでの参拝です。
    子供は友達同士でワイワイ行ってしまいました。
    このスタイルが定着しつつある、この数年。
    うれしいやら、さみしいやらです。

  • 藍染め 『古布』 Tシャツ

    藍染め 『古布』 Tシャツ

    このところ、藍染めのTシャツを作るのが続いていたので、いつものごとく、ハギレが余ってたまってきました。ところが、どれもな中途半端な大きさばかりで、つなぎ合わせても一着のTシャツを作ることすらできません。そこで、これまたハギレばかりとなった古布も使ってTシャツを作ってみました。

    ↓まずは、パズルのようにハギレを並べて布の見積をします。

    なんとか一着できそうなので、早速に縫ってみました。

    ↓前です
     

    ↓後です。

    思った以上に、手間と時間がかかった作品になりました。そのかいあって “愉快なTシャツ” ができました。

  • スノーフレークのストール

    スノーフレークのストール

    照りつける太陽のもと、河原の風景も、すっかり夏模様です。

    スノーフレークのストール

    そんな、晴天が続いた7月のある日、工房でこんな柄のストールを染め始めています。

    スノーフレークのストール

    模様はスノーフレーク “雪の結晶” です。外の風景とは対照的なものを作っています。

    スノーフレークのストール

    藍でムラ染めした記事に、一枚が写真(上から2枚目)の半分の型紙に抜染糊を置いては乾かし、型紙を洗ってはまた糊を置くという作業を繰り返して、ようやく全面に置くまでに丸一日を要しました。

    スノーフレークのストール

    スノーフレークのストール

    このところの暑さで、すでに夏バテ気味の僕には、ちょっと大変な作業でした。しかも、ドライヤーを使って糊を乾かすので、もう工房のなかは熱気ムンムン、汗はダラダラです。作業を一段落させて外に出ると空には夕刻の気配が漂い始めています。

    スノーフレークのストール

    とりあえず、今日は総柄の糊置きは終了です。これで糊を完全に乾燥させてから蒸してから糊を落とし、さらにフリンジをつけて完成する予定です。

  • 『あべのハルカス 三十六景』 第十四景 「松虫塚」

    『あべのハルカス 三十六景』 第十四景 「松虫塚」

    葛飾北斎の『富嶽三十六景』にちなんで始めた『あべのハルカス 三十六景』。第十四景となる今回は、工房のほど近くにある史跡「松虫塚(まつむしづか)」から見たハルカスです。

    『あべのハルカス 三十六景』 第十四景 「松虫塚」

    塚の横を通る道を「松虫通り」といい、近くには「松虫」という駅もあるほど、「松虫」という言葉が日常的に使われているにもかかわらず、その名の由来となった「松虫塚」が当地に存在する理由は定かではないそうです。

    ▼「松虫塚」です。
    『あべのハルカス 三十六景』 第十四景 「松虫塚」

    少し詳しく調べてみると、美しい声で鳴きながら短い命を燃やす鈴虫(松虫)を哀れに思い、旅人が塚を建てたという説があったり、後鳥羽上皇に仕えた松虫と鈴虫の二人の女官が、法然上人が土佐に流されたのち、当地に隠棲したからという説があったり、さらには、昔むかし、ある人が友と二人で阿倍野の松原を通ったとき、その一人が麗しく鳴く鈴虫(松虫)の声に誘われるように草むらに入り、それを心配した友が捜しに行くと草のしとねに伏して亡くなっていたらしく、これを泣く泣く葬った塚であるなどと、さまざまな説があるようです。

    どの話にも “無常” のようなものが感じられると同時に、静けさと一抹の寂しさ、そして少しの不気味ささえ感じます。

    湿気の多い夏の夜空を照らして聳え立つ「あべのハルカス」――。雲にまでに届く照明は、松虫塚の印象とは異なり、まるで “バベルの塔” のようです。