かつて繊維産業で活況を呈した大阪。その名残りで、今も大阪の中心部、本町(ほんまち)辺りには、たくさんの繊維問屋があります。さすが、問屋街だけあって品揃えが豊富で値段も安い!! さらには縫製にかかわる道具を扱う店も多いので、時間さえあれば、この街をブラブラしています。
先日も、工房からブラブラと自転車で行き、お目当ての店で買い物を済ませてから、またブラブラとしながらの帰路のこと、大阪のド真ん中、ビジネス街の片隅で、こんなものを見つけました。
はやりのレストランか結婚式場かと思いきや!? 案内板には 『元 住友家本宅内ビリヤード場(玉突場)』と書かれています。さらに、案内板には以下のようなことも書かれていました。
江戸時代、世界有数の銅の産出国であった日本。その中心地が大阪であり、この場所にあった「住友長堀銅吹所(1636年開設)」は、わが国でも最大の銅精錬所で、国内の1/3の銅を精練していたそうです。ちなみに、ここには銅吹所や店舗のほかに、住友家の邸宅が隣接しており、それらを含めた面積は約4000㎡、1200坪を越えていたそうです。
銅吹所は明治9年に閉鎖されたそうですが、住宅は1915(大正4)年までは本宅として、昭和20年までは別邸として存在しました。このビリヤード場は、銅吹所の跡地に造営された庭園の東側に建てられたもので、玄関のアーチや円柱の飾りは洋風であるのに対し、壁は漆喰の土蔵造り、屋根は日本の瓦葺きです。洋風と日本の技術で表現した“擬洋風”と呼ばれるもので、明治初期の文明開化期によく見られた様式です。ちなみに、独立建物のビリヤード場としては、わが国最古のものだそうです。
▼ 阪市立美術館の裏にある 「慶沢園」。
ちなみに、大阪市立美術館の裏にある 「慶沢園(けいたくえん)」 は、元来 この地から移転した住友家茶臼山本邸の庭であり、大正14年に住友家が神戸に移転するにともなって大阪市に茶臼山と屋敷とともに寄贈されたものです。後に、この庭園を生かした美術館が建設され、今も大阪市民の憩いの場となっています。
なんの気なしの散歩の途中に発見した 『元 住友家本宅内ビリヤード場(玉突場)』 ですが、今ではビルの谷間にひっそりとたたずむ小さな建物になってしまいました。しかし、そんな小さな建造物に、江戸から明治、大正、昭和、そして平成—と、今につながる大阪の歴史と、これを操った豪商の暮らしを垣間見たような気がします。