カテゴリー: 物づくり紀行

今も、物づくりやデザインの発想を得るため、また自らの感性を確かめ、育てるために、各地を訪ねています。そうした旅の途中で出会った風景や土地の気配、人の営みを綴った紀行文が「物づくり紀行」です。ひとつ屋主催の「壱つ屋染太郎」が、制作の背景にある時間として、各地で感じたことを書き残しています。

  • チンチン電車「マッサン」号は昭和参年製!

    チンチン電車「マッサン」号は昭和参年製!

    前回のブログ『ちょっと、ひと息――。』の続きの余談です。息子と二人で、息抜きのために訪れた新世界とジャンジャン横丁(ともに大阪市浪速区)。名物の串カツをお腹いっぱい食べて ド派手な通天閣を見た後は、チンチン電車に揺られながら の~んびりと家路につくのが、いつものルーティン。

    チンチン電車「マッサン」号は昭和参年製!


    で、今回 偶然に乗ったのが、こんなチンチン電車。そう!NHKの連続テレビ小説「マッサン」でデコレーションされた“マッサン号” です! 車体にはデカデカと主人公の二人が貼られています。そして、車内もマッサンだらけ――。

    チンチン電車「マッサン」号は昭和参年製!

    チンチン電車「マッサン」号は昭和参年製!

    チンチン電車「マッサン」号は昭和参年製!

    チンチン電車「マッサン」号は昭和参年製!

    でも、それを喜んでいるんじゃないんです。僕が嬉しかったのは、この車輌が昭和三年製だったこと。チンチン電車の沿線に暮らしていても、最近では “昭和三年製” を見ることはめったにありません。なんと!! 現在、日本で運用される最古の車輌とか。これに乗れたのが嬉しいんです! しかも、この車体の色は、本当にマッサンが生きた昭和初期のものに復刻したらしいです。

    チンチン電車「マッサン」号は昭和参年製!

    チンチン電車「マッサン」号は昭和参年製!

    昭和の初めから、大恐慌の時も、大阪大空襲の日も、通天閣が焼けた時も、また再建された日も、万博のときも、花博のときも…、雨の日も、風の日も…、大阪の街をコトコトと走りながら、その歴史を見つめてきたのだなぁ と思うと、この老いた車体が愛おしくてなりません。がんばれ87歳!! 今も現役です!

  • 冬の法隆寺

    冬の法隆寺

    三寒四温――。小春日和となった一月下旬の日曜日、家族で奈良の「法隆寺」を訪ねました。

    冬の法隆寺

    冬の法隆寺

    冬の法隆寺

    冬の法隆寺

    冬の法隆寺

    冬の法隆寺

    冬の法隆寺

    冬の法隆寺

    冬の法隆寺

    冬の法隆寺

    冬の法隆寺

    冬の法隆寺

    冬の法隆寺

    冬の法隆寺

    冬の法隆寺

    観光シーズンを前に、とても静かな佇まい。晩冬の柔らかい陽ざしのもと、のんびりすることができました。素晴らしい思い出になりました。

  • 国立民族学博物館

    国立民族学博物館

    小学5年生のときの遠足で行って以来、年に数度は訪れるのが吹田市(大阪)の万博記念公園内にある国立民族学博物館です。もうかれこれ三十数年――。そして、今年も行ってきました。膨大な展示品のなかから、今回は染織にかかわるものを紹介します。


    ▼ 南北アメリカの民族衣装。
    国立民族学博物館

    ▼ その伝統的な染料。
    国立民族学博物館

    ▼ 腰機。
    国立民族学博物館

    ▼ 古い時代の製糸道具。
    国立民族学博物館

    ▼ さまざまなアイロンも展示されていました。
    国立民族学博物館

    ▼ アフリカの染織品。
    国立民族学博物館

    ▼ ほかにも、さまざまな染色品が展示されています。
    国立民族学博物館

    ▼アフリカの衣装。
    国立民族学博物館

    ▼ 紅白歌合戦に登場しそうな衣装も—。
    国立民族学博物館

    これら膨大な展示品が、僕の “物づくり力の源” といっても過言ではないのですが、実は、この博物館を訪れるときは創作に行き詰っていることが多いんです。でも 、地球のいろんな場所で人々が長い時間をかけて作り出してきた品々を見ていると、また作ろうという気にさせられます!

  • 元 住友家本宅内ビリヤード場(玉突場)

    元 住友家本宅内ビリヤード場(玉突場)

    かつて繊維産業で活況を呈した大阪。その名残りで、今も大阪の中心部、本町(ほんまち)辺りには、たくさんの繊維問屋があります。さすが、問屋街だけあって品揃えが豊富で値段も安い!! さらには縫製にかかわる道具を扱う店も多いので、時間さえあれば、この街をブラブラしています。

    先日も、工房からブラブラと自転車で行き、お目当ての店で買い物を済ませてから、またブラブラとしながらの帰路のこと、大阪のド真ん中、ビジネス街の片隅で、こんなものを見つけました。

    元 住友家本宅内ビリヤード場(玉突場)

    はやりのレストランか結婚式場かと思いきや!? 案内板には 『元 住友家本宅内ビリヤード場(玉突場)』と書かれています。さらに、案内板には以下のようなことも書かれていました。

    元 住友家本宅内ビリヤード場(玉突場)

    江戸時代、世界有数の銅の産出国であった日本。その中心地が大阪であり、この場所にあった「住友長堀銅吹所(1636年開設)」は、わが国でも最大の銅精錬所で、国内の1/3の銅を精練していたそうです。ちなみに、ここには銅吹所や店舗のほかに、住友家の邸宅が隣接しており、それらを含めた面積は約4000㎡、1200坪を越えていたそうです。

    銅吹所は明治9年に閉鎖されたそうですが、住宅は1915(大正4)年までは本宅として、昭和20年までは別邸として存在しました。このビリヤード場は、銅吹所の跡地に造営された庭園の東側に建てられたもので、玄関のアーチや円柱の飾りは洋風であるのに対し、壁は漆喰の土蔵造り、屋根は日本の瓦葺きです。洋風と日本の技術で表現した“擬洋風”と呼ばれるもので、明治初期の文明開化期によく見られた様式です。ちなみに、独立建物のビリヤード場としては、わが国最古のものだそうです。

    ▼ 阪市立美術館の裏にある 「慶沢園」。
    元 住友家本宅内ビリヤード場(玉突場)

    ちなみに、大阪市立美術館の裏にある 「慶沢園(けいたくえん)」 は、元来 この地から移転した住友家茶臼山本邸の庭であり、大正14年に住友家が神戸に移転するにともなって大阪市に茶臼山と屋敷とともに寄贈されたものです。後に、この庭園を生かした美術館が建設され、今も大阪市民の憩いの場となっています。

    なんの気なしの散歩の途中に発見した 『元 住友家本宅内ビリヤード場(玉突場)』 ですが、今ではビルの谷間にひっそりとたたずむ小さな建物になってしまいました。しかし、そんな小さな建造物に、江戸から明治、大正、昭和、そして平成—と、今につながる大阪の歴史と、これを操った豪商の暮らしを垣間見たような気がします。

  • 『あべのハルカス 三十六景』 第十四景 「松虫塚」

    『あべのハルカス 三十六景』 第十四景 「松虫塚」

    葛飾北斎の『富嶽三十六景』にちなんで始めた『あべのハルカス 三十六景』。第十四景となる今回は、工房のほど近くにある史跡「松虫塚(まつむしづか)」から見たハルカスです。

    『あべのハルカス 三十六景』 第十四景 「松虫塚」

    塚の横を通る道を「松虫通り」といい、近くには「松虫」という駅もあるほど、「松虫」という言葉が日常的に使われているにもかかわらず、その名の由来となった「松虫塚」が当地に存在する理由は定かではないそうです。

    ▼「松虫塚」です。
    『あべのハルカス 三十六景』 第十四景 「松虫塚」

    少し詳しく調べてみると、美しい声で鳴きながら短い命を燃やす鈴虫(松虫)を哀れに思い、旅人が塚を建てたという説があったり、後鳥羽上皇に仕えた松虫と鈴虫の二人の女官が、法然上人が土佐に流されたのち、当地に隠棲したからという説があったり、さらには、昔むかし、ある人が友と二人で阿倍野の松原を通ったとき、その一人が麗しく鳴く鈴虫(松虫)の声に誘われるように草むらに入り、それを心配した友が捜しに行くと草のしとねに伏して亡くなっていたらしく、これを泣く泣く葬った塚であるなどと、さまざまな説があるようです。

    どの話にも “無常” のようなものが感じられると同時に、静けさと一抹の寂しさ、そして少しの不気味ささえ感じます。

    湿気の多い夏の夜空を照らして聳え立つ「あべのハルカス」――。雲にまでに届く照明は、松虫塚の印象とは異なり、まるで “バベルの塔” のようです。