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郷愁

自宅から工房まで、自転車でおよそ20分。その道は、僕が物づくり原点を学んだ高校に自転車で通った、かつての通学路でもあります。あれから30年――、道すがらの風景も随分と変わりました。

ところが、この「踏切」の風景だけは、当時にまま何も変わっていません。

郷愁

自転車で擦れ違うにも、ちょっと注意が必要なほど小さく、何の変哲もない踏切なんですが、チンチン電車がコトコトと通り抜ける風景がまるでオモチャのようで、学生のころからこの風景が大好きでした。そして、この踏切を渡るときに見える「一点透視図法」のお手本になりそうな、こんな風景も好きでした。

郷愁

雨の日も、風の日も、クラブの早朝練習の日も、寝坊した日も—、朝夕と通った学校への道。その途中にあったいくつかの踏切は高架になり、もうイライラすることもありませんが、どこか寂しい風景になりました。

なので、このオモチャのような踏切だけは、これからもこのままであって欲しいと “郷愁” にも似た思いを抱いてしまいます。今も毎日のように渡っているにもかかわらず――。

あれから随分と時が流れましたが、あのときと同じ気持ち、いや、それ以上の思いで物づくりを続けていられることをありがたいと、この踏切を見るたびに思います。

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