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大阪歴史散歩② 天下の台所

前回の『大阪歴史散歩① 難波宮』に引き続き、今回は中世から近世の大阪についてです。
まず、現在の大阪のシンボルといえば、何といっても街の中心にそびえ立つ大阪城天守閣。ご存じのとおり、豊臣秀吉(とよとみひでよし)によって造られた城ですが、現在のものは徳川家によって再建され、天守閣にいたっては昭和になって建てられた三度目のものです。

▼ 大阪城天守閣
大阪歴史散歩② 天下の台所

豊臣秀吉が大阪に巨大な城を築いたのは天正11年(1583年)のこと。そのわずか30年後の慶長20年(1615)には〝大坂夏の陣〟によって、かくも絢爛豪華な姿を誇った大阪城は豊臣家とともに炎のなかに姿を消しました。

▼ 豊臣時代の大阪城天守閣
大阪歴史散歩② 天下の台所

▼ 大坂夏の陣。
大阪歴史散歩② 天下の台所

大阪歴史散歩② 天下の台所

〝大坂夏の陣〟によって城も街も、そして人々も、すっかり荒廃してしまった大阪。その後、この街は江戸幕府の天領(直轄地)となり、河川の改修や堀の開削が行われ、また諸藩の蔵屋敷が置かれたので、急速に復興していきます。蔵屋敷には全国各地から米をはじめとする産品が集められ、世界初の商品先物取引所となる「堂島米会所」が開かれたり、遠隔地取引での為替手形が用いられたりして、日本経済の中心地となっていきます。

▼ 商業都市に生まれ変わった大阪の賑わい
大阪歴史散歩② 天下の台所

こうして商業都市として発展した大阪は “天下の台所” といわれるようになりました。 そして、蓄積された経済力を基盤に、大阪では〝元禄文化〟が華開きます––。

▼ 当時の大阪の様子。
大阪歴史散歩② 天下の台所

大阪歴史散歩② 天下の台所

大阪歴史散歩② 天下の台所

大阪歴史散歩② 天下の台所

大阪歴史散歩② 天下の台所

その後の大阪は近代にいたるまで日本経済の中心地として繁栄しますが、明治期には衰退してしまいます。次回は廃れた大阪が再興して〝大大阪〟と呼ばれた時代について書く予定です。


大阪歴史散歩


大阪歴史散歩① 難波宮

大阪歴史散歩② 天下の台所

大阪歴史散歩③ 大大阪の時代

2件のコメント

  1. ピンバック:大阪歴史散歩① 難波宮 ―― Ancient Osaka – ひとつ屋

  2. ピンバック:大阪歴史散歩③ 大大阪の時代 ―― Modern Osaka – ひとつ屋

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