投稿者: hitotsuya

  • 私の実験場

    私の実験場

    この写真は、わが家の敷地を裏山から眺めたもので、右の建物が「母屋」、左の建物が「蔵」で、その間に見える▼印の建物が、今回紹介する 私の実験場 です。

    正面から見ると、▼こんな建物です。かつては「離れ屋」として使われていた古びた田舎の建物ですが、なんとも瀟洒な雰囲気がとても気に入っています。

    当初から、ここを作業場にしようと思っていたので、染織にかかわる道具を運び入れていました。特に、場所があるのをいいことに、町の骨董店やインターネットで古い道具や機械を見つければ、後先を考えずに集めてきました。そのせいで気が付けば、ご覧のとおり収拾がつかない状態になってしまいました――😱

    でも、古い道具や機械を集めてきたのにも理由があります! というのも、随分と以前のブログ『“明治の産業革命”のように』で書いたとおり、もはや博物館でしか見られない昔の物づくりをここで実践したいと思っているからです。

    ようやく、その機は熟しました! が、古い道具や機械を見ると、やみくもに手に入れてきた代償として、まずはその整理整頓と掃除にしばらくの時間がとられ、“私の実験場”が本格的に稼働するのは、もう少し先になりそうです――😭

  • 未知の領域

    未知の領域

    良きも悪しきも、今はとにかく多忙です! もはや、それは私の処理能力を超えて “未知の領域 ”へと入ろうとしています。正直、心が折れそうになることもあります。先日も、伊賀(里山工房のある三重県)から大阪へと向かう道すがら、今の状況についてじっくり考えてしまいました。誰もいない田舎の駅のホームは寒さが一層 身にしみます。


    ▼ 誰もいない田舎のホームは寒さが一層 身にしみます。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    とはいえ、それは日常の雑務に追われるというもの“あれもしたい! これもしたい!” という自分の欲求がもたらす災いに原因があるようです。おそらく、自分がやりたいことに“優先順位” が必要なんでしょうが、それすらできていません。

    そんな思いに混沌としていた今日この頃、本日午後に尊敬する先生にも同じ思いが存在することをしりました。私からすれば、その立ち居振る舞い、お話しをされる雰囲気、それらが調和する品格—、そこに嫌味はなく、ただただ憧れる雰囲気があります。そんな “先生” すら思い悩むことがあると話してくださることに、本当に痛み入るばかりでした――。


    最近、あまりにも多忙なスケジュールのせいで「強くあらなければならない!」「ブレてはならない!」と思うことがよくあります。なんとも勇ましい言葉ではありますが、私はこの言葉が好きではありません。でも、今日 先生とお話しして、今は自らを鼓舞しても、この言葉どおりに邁進してみようと思うほどのエネルギーをいただきました。
    明日からも頑張ろう!と思えます。

  • 放棄耕作地を畑に戻す vol.1

    放棄耕作地を畑に戻す vol.1

    数年前のブログ『放棄耕作地の再生と工芸作物の栽培(1)』でも書きましたが、現在の日本で「農業」といえば、 “食べるもの” を栽培することを意味します。しかし、かつては食料以外にも多くの農作物(工芸作物)がありました。 例えば、染織にかかわる農産物だけでも、「藍」や「紅花」、「綿」や「麻」、そして「養蚕」もその一つに数えられていました。このほかにも、畳のための「イグサ」や漆工品の「漆(うるし)」も、そうした農産物でした。ところが今は、 その多くが趣味や保護対象物として栽培されている程度で “産業” としては失われてしまいました。

    食品のための農業ですら高齢化や後継者不足のために「耕作放棄地」や「荒廃農地」が増え、全国的にも大きな問題になっています。しかし、最近になって無農薬、有機肥料、さらには自然農法などの意識の高まりにつれ、若い人たちの“就農”を耳にするようになりました。特に、生産者と消費者を直接つなぐことのできるネット販売システムの充実により、その動きが加速したような気がします。そして、この動きをさらにスピードアップさせたのが、くしくも新型コロナウイルスのパンデミックでした。在宅勤務、オンライン会議などができるようになり、都市に住む必要がなくなったことで、これまでにはなかった働き方が “新しいタイプの兼業農家” を生むことになったのです。

    ところが、やはり注目されるのは “食べるための農業” です。先にも記しましたが、その背景には “生産者と消費者が直接つながれるシステム” が存在するからでしょう。これが工芸作物の場合、農家から生産者に届くまでには、たくさんの中間業者を必要とします。例えば、綿をとっても、綿を栽培する人、糸にする人、染める人、織る人、さらには衣服などの製品に縫製する人など、さまざまな工程が必要となります。農家の立場から “縫製する人” までをつないでいくのは難しいだろうし、逆に“縫製する人” が農家までをたどるのも至難の業です。

    でも、染織と縫製を学んだ人が、たまたま農業に興味があったとします。そのうえ、その人の目の前には畑も道具も、作業場もそろっているとしたら、それをやってみたい!と思うのは当然ではないでしょうか!? 今、私の目の前に、そのすべてがあります! そして、新たな土地があります!

    2023年秋、背丈以上に伸びた笹竹に覆われた、かつての耕作地(あえて「放棄耕作地」と表現しません。末文をご覧ください)を貸していただくことになりました。自分にとって、 “食べるための農業” ではなく、“作るための農業” は、残りの人生をかけてよいといっても過言ではないテーマ、いや命題です。以前の放棄耕作地の再耕(『放棄耕作地の再生と工芸作物の栽培』)以上に大変そうな圃場ですが、老体に鞭打って頑張ってみるとしました。

    『放棄耕作地を畑に戻す vol.2』へ続く—。

    ▼ 背丈以上に伸びた笹竹に覆われた、かつての耕作地
     

    追記【あえて「放棄耕作地」とせず、「かつての耕作地」と表現した理由】
    「放棄耕作地」といってしまえば “自らの意図で畑を捨てた” というニュアンスを感じたからです。ここに移住して、たくさんの人々と接するうちに “やめることも選択肢の一つとして畑を捨てた” のではなく、“先祖伝来の田畑を自分の時代で続けることができなくなった無念さ” を感じ、“放棄” という言葉に違和感を覚えるようになりました。今後も、便宜上は「放棄耕作地”」という言葉を用いますが、そういう思いもあることを報告させていただきます。

  • 今日まで生きていることの意味

    今日まで生きていることの意味

    本日から、ひとつ屋も通常の業務をスタートします! 今年は “再スタート元年” と位置づけ、見て見ぬふりをしてきたさまざまな問題に向き合おうと思っています。できることなら、その再生や復活に尽力したいとも真摯に考えています。一年の計は元旦にあり――、それを祈願して、迎春の準備を整え、元日の早朝には村の鎮守さまにお参りし、新春をお祝いしました。質素ながらも、身の引き締まるお正月を迎えることができました。

    今日まで生きていることの意味

    今日まで生きていることの意味

    今日まで生きていることの意味

    今日まで生きていることの意味


    そんな平穏な元日が暮れようとした夕方、私の暮らす伊賀(三重県)でも家がミシミシと音を立てながら揺れるほどの大きな地震が能登半島でありました。そして、その翌日には航空機の大事故――。

    改めて “今日まで生きていることの意味” を考えさせられます。

    三が日が明けやらぬ間に「おめでとうございます」と言うのが憚れる年明けとなってしまいました。末文ではございますが、地震・事故でお亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみ申し上げますとともに、 苦悩されている方々に心よりお見舞い申し上げます。

  • 栽培絵日記/24年1月8(月/祝)曇【小さな畑】

    栽培絵日記/24年1月8(月/祝)曇【小さな畑】

    この『栽培絵日記』のコーナーでは、栽培絵日記の【ひとつ屋染織農園】での栽培記録を絵日記風に写真と短いコメントで紹介しています。


    今日は、圃場に片隅にある小さなスペースをも畑にしようと耕運機で耕した。


    ▼ 圃場の片隅にある 石段の上の小さなスペース。

    ▼今日は、ここも畑にすべく、ますはシャベルで掘り起こした。

    ▼ その後、耕運機で耕して小さな畑にする。

    あまり日当たりのよい場所ではないが、それなりの作物が栽培できそうだ。


    ▼ この家に引っ越ししてきて、初めて植えた椿。小さな小さな苗だったが、随分と大きくなった。


    ▼ 一年で最も寒いころ、ジュゲさんはブランケットから出ようともしない(笑)。


    このころに「寒起こし」という作業(畑を耕す)をすれば、害虫の被害を軽減できるとか。野良仕事が少ないはずの時季も意外に忙しい。