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人を好きでありたい

冬晴れの日は、野良仕事がとても忙しいです――。都会で猫の額(ひたい)ほどの家庭菜園をしていたときは、その作業は初夏から晩秋がメインでした。ところが、ここに移住して本格的に畑に挑もうとしたとき、大切なのは“冬の作業である”ということに気付きました。

春から生える雑草を少なくするための刈込みをしたり、夏の炎天下ではできない防獣柵の補修をしたり、病害虫の予防のための寒起こしをしたり—と、さまざまな作業をするには冬のほうが楽なんです。

そんな作業を日がな一日ひとりでしていると、いろんなことが頭をよぎります。特に、生まれも育ちも大阪の私にとって、ここでの人間関係は不思議でいっぱいです。
人間なんて履いて捨てるほどいる大都会にあって “人のつながり”なんて、さほど深く考えたこともありません。どんな人が隣人であるかさえ、都会では興味を持つほうが嫌われ者です。大勢の人のなかで暮らしていれば、友人・知人も、コミュニティーも、そのスペアはたくさんあります。誰かに、そして何かにこだわる必要がありません。だからこそ! 不用意な喧嘩や裏切り、不信や不義理—など。もう二度と会えない人間関係になってしまうことが時よりあります。でも、それは本当に悲しいことです。それだけは避けたいと、いつも願っています。


過疎化が進む地方の農村にいると、誰とも出会わない日が珍しくありません。でも、皆が顔を合わせる年中行事があったり、頻繁に寄り合いがあったりもします。それは、とても濃い人間関係と歴史、そして信頼や信用の上にあるもので “都会にはない不思議” を感じます。

それは決してスマートではありませんが、優しく温もりあるもので間違いありません。


正直のところ、今日のブログで何が書きたいのか自分でも分かりません--。ただただ、目まぐるしく変化する環境のなか、 いくつになっても  “人を好きであれる自分でいたい” と願っています。

よく晴れた冬空の下で野良仕事をしながら思うことでした。

 

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