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“物づくり大国――日本”だった時代

私が生まれ育ったのは大阪市の西南部で、いわゆる工業地帯です。多くの家が1階が工場、2階が住居というもので、私の家も、このスタイルでした。工場でクレーンを使うと家は大きく揺れ、地震に気づかないこともしばしば。あちこちから槌音が響き、溶接の光や火花が身近にありました。土曜日の昼下がりともなると、工場で働く職人たちが昼寝をしていたり、将棋をしていたり—と、何ともいえない雰囲気で、学校帰りの子供たちに「ちゃんと勉強してきたんかいッ!?」などと声をかけてくれました。町工場の社長たちは毎晩のように呑み、競って機械を買い、工場を広げては自慢していました。あれから随分と時は過ぎ、そんな工場はマンションになり、職人たちも、威勢のいい町工場の社長の姿も消えてしまいました。
この運河にも大きな船が行き交っていましたが、かつての賑わいは失われ、“物づくり大国――日本”だった時代は、私の記憶とともに遠い過去のものになったことを痛感させられます。

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