綿(わた)はアオイ科ワタ属の多年草の総称で、種子の周りにある繊維は強くて伸びにくく、吸湿性が高いため、古くから衣類などに加工されてきました。その歴史は古く、起源については諸説ありますが、その一つが約7000年前のインダス文明に始まり、その後世界中へと広まったとされるものです。
日本へ伝えられたのは1200年以上も前のこと。ところが継続的に生産されることはなく、次第に廃れていきます。その後、外国からの輸入に頼ることになったので、木綿は“高級な繊維”として扱われる時代が続きました。
これが本格的に生産されるようになるのは戦国時代後期のことです。江戸時代に入ると各地で栽培が急速に拡大し、次第に庶民の衣服に用いられるようになりました。明治時代に入ると“殖産興業”のスローガンのもと、綿布の生産が奨励されたこともあり、昭和の初期(1930年代)には、その輸出量が世界一となりました。太平洋戦争中には綿布の輸出を停止したので一時的に衰退しましたが、戦後には復活し、再び世界一になりました。
しかし、その後はアジア産の安価な綿布に押され、生産量は急速に減少していきます。そして現在では“ハンドクラフト”の範疇で個人やグループ単位で細々と続けられているだけで、統計上の日本の自給率は今や0%だそうです。
ひとつ屋の農園では失われた綿業を「持続可能な産業(SDGs)」の一つと捉えて木綿(和綿と洋綿)を栽培し、綿糸と綿布の生産を行っています。そこで今回は、繊維を採取したのちに廃棄されることの多い“綿の実の殻”を使った草木染の色見本を紹介します。
※ひとつ屋の活動については「私たちの取り組み」をご覧ください。
▼ この綿殻は、ひとつ屋の農園で無農薬・有機肥料で栽培されたものです。
▼ 左が「洋綿」、右が「和綿」です。随分と大きさがことなります。詳しくは「和綿と洋綿の比較」をご覧ください。
【綿(Cotton)】
◆ 学名/Gossypium ◆ 分類/アオイ科ワタ属(多年草)
◆ 備考/ワタ属は約40種の多年草からなり、世界各地の熱帯または亜熱帯地域を原産とします。開花後にその下部の子房が発達し、朔果 (Cotton boll) が形成され、内部にある種子の表面に生じた綿毛を繊維として利用してきました。さらに、繊維を取り除いた種子から採れる油(綿実油)は、食用としても利用されてきました。
◆ 媒染/各媒染については、下記の色見本をご確認ください。
【各媒染による色見本】
※写真下の説明「被染材(濃染=カチオン処理済)/媒染剤/コメント」